2015年1月31日土曜日
アーティストから直接レコードが届いた。
レコードショップのサイトをチェックしてて、以前から気になってたアーティストHOKUTO SATOから直接レコードが送られてきました。
マイロのノザワ君から電話あって紹介されたのが、そのアーティストHOKUTO SATOでした。
富山在住のアーティストってテクニークでも紹介されていて「そんな人富山にいたんだ」って前から思ってて。
サトウ君と電話でさっきも話てたんだけど、東京のレコードショップ、テクニークでも以前働いていた話を聞いたり、楽曲製作と共に地元富山でパーティーをやって、DJ活動もしていきたいって事って僕なりに今までのこっちの状況を全て話しました。
サトウ君の今後のリリース予定や曲作りの事などいろいろ話しました。
興味深い話も聞く事が出来、最近リリースした新譜のレコードまで送っていただきました。
早速部屋でDJしながら聴かせてもらって、僕のセットにも充分に入れますね。
かなり落ちついたディープハウスですが、キックの質感とか好きですね。
来週末はマイノリティでDJするんで、サトウ君にいただいた新譜も是非かけたいです。
HOKUTO SATO要チェック!
(KENJEE)
2015年1月30日金曜日
ダンサーのパーティーで。
先週末ですが、マイロでのダンサーのパーティー、HYPEでDJさせてもらいました。
ステージでのショーケースでの合間にDJしてたんですが、ダンスフロアではダンサーが円陣を組んでその中でちょっとしたバトルをやっていましたね。
そういうパーティーでやる事なかったんで新鮮で楽しめましたね。
ダンサーのショーケースは一組持ち時間5分で30組くらいのチームが出演してました。
ダンサーは出演時間がたとえ5分だったとしても、出るまでに選曲から振付、衣装、練習があって僕らDJよりいろいろ大変だと思います。
練習もチームで踊っていれば、みんなと都合あわせて、何曜日の何時からとか練習場所まで行く時間、帰る時間、その他衣装、選曲、振付までパーティー当日までみんな沢山の労力を使って、一生懸命やってショーに出てるんですよね。
リスペクト。
ダンサーの方々、お疲れ様でした。
そして、ありがとうございました。
(KENJEE)
2015年1月22日木曜日
コナ・ファーマーズマーケット。
ハワイに話を戻しましょう。
滞在してたホテルから歩いていけるコナ・ファーマーズマーケット。
地元の野菜や果物、民芸品などが売られていました。
最初、横を通った時は古びたテントが並んでるなって思ってたんですけど、中を覗いてみるとこんな感じでした。
地元の大型スーパーで買うよりは値段は安かったですね。
(KENJEE)
2015年1月20日火曜日
HOUSEGROW@キッチン花水木。
HOUSEGROW御一行御招待券をキッチン花水木のオーナー兼シュフのノブからいただき、日曜日にみんなで行ってきました。
先月のHOUSEGROWラストダンスの時にノブから御招待券をいただきました。
ノブもHOUSEGROW初期のメンバーで頑張ってくれてたんです。
パーティーはじまって3カ月後にノブがアメリカに行く事になってしまってHOUSEGROWやれなくなったんですけど、ずっと彼とはいい関係が続いていました。
奥さんのなっちゃんも東京にいた時に西葛西のアパートに一度お邪魔させてもらった時があって、なんか懐かしいですね。
日曜日はノブの心のこもった沢山のおいしい手料理でお腹一杯、胸一杯でした。
手巻き寿司からはじまり(僕は刺身とご飯と別々に食べてました)、シャブシャブ、たら鍋、氷見うどんなどなどどれもおいしくいただきました。
料理を食べながら先月のHOUSEGROWラストダンスのライブミックスもみんなで聴こうという企画もありで、集合したのが昼の1時で解散が夜の11時過ぎでした。
1時からライブミックスを11時間聴きながら、ノブのおいしい料理を食べ続けると言う贅沢な企画でした。
ライブミックスは聴く前はワタルは「そこまで良くないですよ」なんて言ってたけど、僕は今回じっくり聴いてたんですけど、悪くなかったですね。
みんなのDJをちゃんとライブ録りで聴くのはじめてだったけど、タチもワタルもシマもDJ本当うまいですね。
食べながら僕もいちいち「タチ、DJうまいね」とか「ワタル、DJうまいね」とか「シマ、DJうまいね」とか言ってましたね。
シマは「ケンジさん、さすがうまいですね」なんて真剣に褒めてくれてたんですけど、タチとワタルは全然褒めてくれないんですよ。
タチなんかは聴きながら「よ~、出ました!」なんて言って僕の十八番のミックスをいじってくるんですよ。
11時間のライブミックスが延々流れている間、一度も親友と大切な大切な可愛い後輩は褒めてくれる事はありませんでした・・・
最後の方は二人とも寝てましたからね。
ハワイで倒れてきたばっかりの僕、今度は寂しく寝込みたいと思います。
そんな感じでキッチン花水木でのHOUSEGROWはとても楽しい時間でした。
ノブ&なっちゃん、忙しいのに、本当心のこもったおいしい料理をありがとうございました。
料理は作るだけじゃなくて、その日の人数、顔ぶれ、好みなどいろんな事考えながら、朝から買い出しに行ってたと思うし、僕らが食べてる間に次の料理の準備をしながら、洗い物をしていてね。大変だったと思います。
何食べても本当に美味しかったから、僕も気になってノブに食材の仕入れ先まで質問したりしてね。それを聞いてどうしようって言うんですかね。ノブはちょっとうざかったと思います。
ライブミックスは途中早送りして、最後の僕のマイクでの挨拶まで聴きましたよ。
泣きながら、酔っ払いながらでもなかなかの挨拶だったんじゃないかと自分で思ってます。
「HOUSEGROW」って、いつまでもひきづってるようで、正直ここでも書きたくないんだけど、やっぱり書いてしまいますね。
本当にパーティーと共にかけがえのない大切な人間関係を築く事が出来た「HOUSEGROW」に感謝してます。
これからも今まで築いてきた沢山の事を大切に生きていきたいと思います。
ありがとうございました。
(KENJEE)
2015年1月18日日曜日
今週末DJします。
ハワイの写真はまた後日。
今週末24日(SAT)ですが、HYPE@MAIROでDJします!
ダンサーのショーケースのパーティーですが、オーガナイザーのヒトミちゃんから誘ってもらいました。
HOUSEGROWが終わったら、また新しいDJの場があって、嬉しく思います。
これからは純粋にDJを楽しんでやりたいです。
もういろいろ考えることなく楽しんでDJやりたいですね。
今年はじめてのDJです。
どうぞよろしくお願いします。
(KENJEE)
2015年1月17日土曜日
2015年1月16日金曜日
マウナ・ケアVOL.3。
一番上の日の出の写真に写ってる白いものは雲ですね。
上から四枚目の写真は日の出の逆側から撮ったもので、マウナ・ケア山頂からは雲の隙間からオアフ島も見れるんです。
赤いバスには13人乗れて、ガイドさんは一人。
バスがパンクした時は一人で全部やらなくちゃいけなくて、会社からは20分で完了させろと言われてるらしいです。
特に大変なのはマウナ・ケア山頂付近でパンクした時で、酸素が薄い分身体が思ったように動かないらしいです。
お客さんに手伝ってもらうわけにもいかないので、なんとか自力でやるそうです。
(KENJEE)
2015年1月15日木曜日
マウナ・ケアVOL.2。
マウナ・ケアからの日の出。
朝の5時50分だったと思います。
ちょっと感動してしまいました。
標高2800メートルのオニズカビジターセンターで高度順応のため、星の観察したり、記念写真とったりして身体をならすのに一時間滞在して、そこから20分かけて車で一気にマウナ・ケア山頂へ移動します。
マウナ・ケア山頂まで上がるまでの20分間は絶対に寝たらダメだという指示がガイドさんから出ていて、そこで寝てしまうと高山病にかかってしまうんです。
ですが、途中酸素が薄くなってきて、気を抜いてしまうと寝てしまうんです。
僕も気合いを入れてた20分ですが、途中寝そうになってしまう事が何度かありました。
マウナ・ケアは標高4205メートルで日本の富士山(3776メートル)よりも高いんです。
富士山さえも登った事ないのに、それよりも高い山にいきなりいくわけですからね。
マウナ・ケア山頂に着いた時は、なんだか身体がとても重く感じました。正直気分も少し悪かったですね。
4205メートルの山頂まで車で行けてしまうのが、さすがアメリカって感じでしたね。
途中ガタガタ道もあるんですが、それは一般車両を行かせないためにしてあるらしく、レンタカーは通行禁止で四駆のみ通行オッケーなんです。
もう上の方まで来るとしっかり舗装してありました。
ガイドさんはオニズカビジターセンターからマウナ・ケア山頂まで登山でチャレンジした事あったらしいのですが、辛すぎて途中で断念したって言ってました。
防寒着はL.L.BEANのしっかりしたのを上下で借りてたんですけど、山頂はめちゃくちゃ寒かったですね。
(KENJEE)
2015年1月14日水曜日
2015年1月13日火曜日
オニズカ・ビジターセンター。
オニズカ・ビジターセンター。標高2800メートル。
マウナ・ケア(標高4205メートル)山頂を目指す前の休憩場所、星空観測するために作られた建物ですね。
名前のオニズカは1986年にスペースシャトル「チャレンジャー」号の打ち上げ失敗の事故で亡くなったオニズカ大佐からつけたものだそうです。
彼はハワイ島コナ出身で、日系人初の宇宙飛行士となった地元の英雄だそうです。
僕が小学校3年生の時に、朝に学校行く前にチャレンジャー号の打ち上げを生放送でテレビでやっていて、まさかの失敗でチャレンジャー号がコナゴナになっていく姿を見て、幼心にショックを受けていました。
今もその時の記憶が鮮明に残っていて、チャレンジャー号の失敗は覚えています。
そういう記憶が僕にはずっと残っていて、オニズカ大佐の説明をガイドさんから聞いた時は胸が熱くなりました。
ここに来れて本当によかったです。
車降りたら、星がめちゃくちゃきれいでびっくりしました。
もうプラネタリウムでしたね。
星がもう近くで見れているような感覚で、日本じゃ見た事ない星が沢山見れました。
写真はもうそのままのものです。加工なしです。
オニズカ・ビジターセンター、最高でした。
(KENJEE)
2015年1月12日月曜日
2日目に・・・
コナに到着して2日目の朝からまさかの下痢。
100勝30敗という戦績でホームではめっぽう強いんですが、アウェーでは弱さを露呈してしまいました。
朝から下痢で昼過ぎには落ちついたんで、近くをドライブしてたんですが、夜に下痢の症状が悪化。
人生で味わった事のない強烈な下痢でノックダウンでした。もう死ぬかと思うくらいでした。
キョウコにHISのサポートセンターに電話してもらって現地の病院を手配してもらい、自分で運転してコナの病院に到着。
夜10時に病院に入って、診察がはじまったのが深夜2時半。
先生が一人しかいないらしく、4時間半待ちました。
スカイプで通訳してもらい、症状を全て伝えたのですが、先生は「若いから大丈夫だ」と・・・。
水分とってバナナとか消化のいいもの食べれば大丈夫と。
結局病院まで行ったのにまさかの処置なし。
点滴してもらいたかったのに。
この下痢は翌日にはおさまるのですが、身体の水分、栄養分がかなり出てしまっていて、ふらふらの状態が続きました。
コナでは病院に2回行きましたよ。
そして、帰国予定日に空港で駄目押しで倒れるというビックサプライズ。
キョウコも搬送された病院でもうあきれて笑ってましたよ。
空港から搬送された病院では1リットルの点滴を3本。かなりの脱水症状だったみたいです。
夕方には回復して、日帰り入院だったんですが、その医療費の請求額にびっくりでした。
30万円でした・・・
行く前に保険に入ってたのでなんとかセーフ。
旅費と医療費を合わせるとトヨタの新車が買えました。
(KENJEE)
2015年1月11日日曜日
コナの街。
コナはこっちで言うなら、魚津とか氷見の海岸沿いにホテル、レストラン、カフェ、サーフショップ、お土産屋さんがある感じでしたね。
お店は夜の9時半にはほとんど終わるので夜は静かで、外でやれる事はないんです。
地元の若者は夜は集まって喋ってるか、スケボーしてるか、車でグルグルしてるかけっこう暇そうでしたね。
日中は日差しが強くて暑いんですが、夜は涼しいです。
夜外出する時は長袖、長ズボンでした。
それと砂浜のビーチと言うのはほとんどコナはないんです。
泊まってたホテルの前は小さな砂浜のビーチになってたけど、海岸沿い歩くと、大きなビーチは全くなかったです。
コナはコナコーヒーで世界的にも有名で、日本でもかなり高く売られています。
アイスコーヒーを少し飲みましたが、まあ普通においしかったです。
奥さんは「酸っぱい感じで苦みがないコーヒー」って言ってました。
コナはのんびりするにはいいところですね。
(KENJEE)
2015年1月10日土曜日
ホテル。
コナの街の中心にあるホテルに滞在してました。
プールもジムもあって、ホテルの前には小さなビーチもあってとてもいいところでした。
毎日、天候も良くて散歩したり、ドライブしたりと気持ちよかったですね。
夜はちょっと肌寒いんで長袖着てました。
着いた初日は海沿い走ったりと元気がよかったんですが、翌日から大変でした。
(KENJEE)
コナ到着。
富山~羽田~成田~上海~ホノルル~コナ。
富山から35時間かかってハワイ島のコナに到着しました。
ラストダンス終わってからもゆっくりも出来なくて、いろいろ約束してた事もあったから年内に全部きれいにしてから旅行に行きたいなって思ってて。
その合間にトレーニングも行ってて。
富山出発する前にも一時間だけトレーニングしてきてね。
けっこう疲れてたんだと思います。
ハワイ島のコナは毎日、めちゃくちゃ天気良かったです。
日差しが強くて肌に突き刺さるような痛さでしたよ。
少しずつですが、写真をUPしていこうと思います。
(KENJEE)
2015年1月8日木曜日
遅くなりましたが。
帰国便に乗る2時間前にホノルル空港で倒れ、現地の病院に救急車で搬送され、帰国が一日遅れてしまいました。
遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願い致します。
(KENJEE)
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