2014年12月1日月曜日

HOUSEGROW HISTORY。




2002年6月HOUSEGROW スタート 

2003年6月HOUSEGROW1周年・・・DJ TARO KAWAUCHI(NITELIST) 

2003年11月・・・・・・・・・DJ EMMA(NITELIST) 

2004年3月・・・・・・・・・・KUNIYUKI TAKAHASHI 

2004年7月HOUSEGROW2周年・・・DJ ALEX FROM TOKYO

2004年11月・・・・・・・・・DJ YOKU(A HUNDRED BIRDS) 

2005年3月・・・・・・・・・・DJ BAN(JET SET) 

2005年6月HOUSEGROW3周年・・・DJ TIMMY REGISFORD(NYC,SHELTER)

2005年11月・・・・・・・・・DJ ANDRE COLLINS(NYC) 

2006年5月HOUSEGROW4周年・・・DJ TIMMY REGISFORD(NYC,SHELTER) 

2006年11月・・・・・・・・・DJ DANNY KRIVIT(NYC,718SESSION) 

2007年5月HOUSEGROW5周年・・・IDJUT BOYS(UK,LONDON) 

2007年11月・・・DJ LARRY HEARD A.K.A MR FINGERS(CHICAGO)

2008年2月・・・DJ KENTARO IWAKI、DJ HIKARU 

2008年3月・・・KUNIYUKI TAKAHASHI(LIVE出演) 

2008年6月14日(SAT)HOUSEGROW6周年・・・DJ JOAQUIN JOE CLAUSSELL(NYC、SACREDRHYTHM) 

2008年11月8日(SAT)・・・DJ ALEX FROM TOKYO(NYC, TOKYO BLACKSTAR,INNERVISIONS) 

2009年2月14日(SAT)・・・DJ JUZU A.K.A MOOCHY 

2009年6月13日(SAT)HOUSEGROW7周年・・・DJ TODD TERJE(OSLO/NOLWAY)

2009年11月6日(FRI)・・・DJ FRANCOIS・K(NYC,WAVEMUSIC,DEEP SPACE)   

2010年7月23日(FRI)HOUSEGROW8周年・・・DJ THEO PARRISH(DETROIT,SOUND SIGNATURE) 

2010年8月14日(SAT)・・・DJ KAZUMA & Mind-bending 

2010年11月12日(FRI)・・・DJ QUENTIN HARRIS(NYC,STRICTLY RHYTHM)   

2011年7月16日(SAT)HOUSEGROW9周年・・・IDJUT BOYS(UK,LONDON) 

2011年11月19日(SAT)・・・DJ MASA a.k.a CONOMARK(GRASSROOTS) 

2012年7月13日(FRI)HOUSEGROW10周年・・・DJ NOBU(FUTURE TERROR,DAZZY DJ NOBU)&cro-magnon(JAZZY SPORT) 

2013年7月13日(SAT)HOUSEGROW11周年・・・DJ PRINS THOMAS(OSLO/ NORWAY) 

2013年10月12日(SAT)・・・TOMOYUKI TATENO(INNOCENCE,『 』) 

2013年12月14日(SAT)・・・DJ CMT(POWWOW)

2014年6月6日(FRI)HOUSEGROW12周年・・・DJ NICK THE RECORD(UK,LONDON) 

2014年10月11日(SAT)HOUSEGROW LAST GUEST・・・DJ MOODMAN(HOUSE OF LIQUID,GOD FATHER,slomotion)

2014年12月13日(SAT)HOUSEGROW -LAST DANCE-





今日のお題はHOUSEGROW HISTORYだって。


なんだか重たいですし、大袈裟ですね。


なんでも大袈裟に、大きくいきましょう。




恒例の過去のゲストDJをまた書いておきます。



今まで作ってきた大きいポスターがLASTDANCEの時に必要になったんで、そのついでですね。


上のポスターはHOUSEGROWの初外タレ、ニューヨークのティミーレジスフォードですね。


HOUSEGROW3周年とクラブマイロ5周年でやる事になった当時のパーティーです。



ゲストばかり呼んでやってきた風に見えるかもしれないけど、僕らだけのレギュラーパーティーももちろんがっつりやってきましたよ。


だから13日のLASTDANCEで開催130回目なんですよ。


HOUSEGROWは2002年の6月にはじまったんですけど、当時マイロでハウスやってた若手は僕くらいしかいなかったんですよ。


世代交代がぱっとはじまって、マイロもノンゲストのレギュラーハウスパーティーをやっていきたいって事でミヤジ君と話て僕がオーガナイザーになってメンバーをある程度決めて、とにかくマイロでもオープンからの2年は平日しかDJする事なかったし、週末にDJする事に飢えてましたね。


とにかく気合いは入ってましたね。


パーティーははじまった時はちょうど26歳になったばかりの時で、若さと勢いでやる気に満ち溢れてましたね。


毎月の第2金曜日ではじまってね。


自分のDJも大事だし、お客さんも集めないといけないし。けっこうプレッシャーもありました。


金曜日ではじまったんですけど、少しづつお客さんが増えてきて、2年目から土曜日に移ったんです。


そこからぐっとお客さんがまた増えてね。

その流れで今もHOUSEHGROWは第二土曜日なんですよ。



沢山集客したらしたで、ちゃらいパーティーで、DJも大した事ないんやろと思われるのがとにかく嫌だったから、家では毎日DJしてて、海外のDJのプレイとか東京のクラブの事もオーガナイザーとして体験してないと、こっちで頑張ってても何か説得力ないなって思ってたから、平日でも週末でも一人で飛行機乗って東京行っていろんなDJ聴いてきました。


新譜のレコードのチェックも毎週必ずやって、沢山レコードも買ってました。


ハウスDJのスキルというかテクニックはやっぱりいろんなDJ聴いてきたから、マネもあったし、マネから自分なりのスタイルにしていった部分もあったと思います。


同じ曲、同じレコードを使った2枚使いは得意でした。


今はCDJやPCでループ機能があるから、レコード使って戻して戻してってやる必要がないから、いいですね。



実家にいた頃もとにかくレコードとターンテーブルはよく触ってました。


右手の中指でピッチコントロールを上から押さえて、人差し指を横に添えるんです。


ミキサーのフェーダー、LOのつまみを触るのは左手なんです。


だからいつもDJミックスの時は左右どちらのターンテーブルを触るのが右手でミキサーは左手。


左のターンテーブルの曲をかける時はみんなにもよく言われるんですけど、右手でタンテと左手がミキサーだから手がクロスするんです。


知り合いは僕のDJの時のマネするんです。だけどそれが僕のDJする時のスタイルなんです。


今後も絶対そのスタイルは変わる事はないですね。




上のポスターのティミーレジスフォードをゲストに呼んだ話をしようかな。



当時ゲストを呼ぶコネクションなんて全くなくて、日本人のDJ EMMAもコネクションがなかったからにEMMAがレギュラーやってた東京のアゲハまで行って、話してきてね。



HOUSEGROW3周年とマイロ5周年でけっこう大きいパーティー打つ事になってそこで外タレやろうって事になったのはいいけど、それももちろんコネクションがない。


当時東京西麻布のクラブ、イエローが毎月頻繁にニューヨークのDJを呼んでたから、「ここに電話したらどうにかなるかもしれない」って思って、イエローに2005年の2月に直接電話したんです。


そしたら、「6月にティミーレジスフォードのツアーが予定されている」って事で、ティミーのプロモーターから僕の方に直接電話させるって言う話になったんですけど、全く連絡がなくて、僕から電話したんですね。


まあ、電話したのはいいけど、僕の事なんか全く知らないわけだし、正直言って相手にされてない感じでした。


それからまた電話して、パーティーの状況とかクラブの状況とか細かく説明して。


提示されたギャランティーも今と比べるとすごい金額だったけど、とにかく必死だったから「お金は必ず僕がどうにかしますから」って返事して、そこでやっと一歩前に進んだ感じだったと思います。


ジャパンツアーだから、日程の調整もあるわけだし、富山の僕らを先に決める事も出来ないんですよね。




大都市から順番にって感じだから、まだ確定させてもらえないんです。


そして4月に頭にまた電話して「僕が必ず責任もってやるんでとにかくお願いします!」って言ってそこでやっと確定の返事をもらったんですね。


その時のツアーは、東京イエロー、大阪グランカフェ、名古屋JB'S、富山クラブマイロの4公演だったと思います。


交渉から決定まで2ヶ月半かかったと思います。

粘り勝ちと言っていいかな。


決まった時は嬉しかったけど、肝心なのは当日のパーティーでね。


パーティー当日までみんな本当良く頑張ってマイロぱんぱんにして盛り上がってね。


家帰って泣きましたよ。



それからはそのティミー他多数のプロモーターの亮さんもそうだし、セオパリシュ他多数やってるハギさんとはいい関係が続いています。



HOUSEGROW3周年で「僕らにも出来るんだ」ってパーティーに対して大きな自信を持つきっかけになりました。


それからはどんな状況になろうとも、今の今まで自信持ってやってます。




かなり長くなりましたね。



そんな話なんです。



やっぱりHOUSEGROW HISTORYって大袈裟ですね。自分でも笑ってしまいます。

それでは。
(KENJEE)